この国の政治を変える
会計検査院の潜在力

この国の政治を変える 会計検査院の潜在力

2003年、五月書房、304頁

国会審議においても、世論やマスメディアの関心においても軽視されてきた会計検査院の仕事ぶりを再検討する。

これまであまりの国の決算おざなり体質に、ようやく反省する流れが生まれてきた。「決算の構造改革」に向けて、この役所の役割を我々は注視して、監査を怠ってはならないのである。
日本の政治が「予算ぶんどり」であること、そしてそれを直す方法がいまだに見出せないことに、多くの国民はこの国の政治家や官僚たちに半ば呆れ、半ば絶望している。しかしこの「予算ぶんどり」を見直す仕組みは制度的に存在している。決算である。「予算ぶんどり」の結果を精査して、後年の予算編成に正確に反映させればよいだけなのだ。しかしこのフィードバック回路にあたる会計検査院が、あまりに脆弱なため、この国においてはせっかくの決算制度がうまく機能していない。

目次

第1章 なぜ決算は重要なのか
 1 決算の意義
 2 ニュー・パブリック・マネジメント、政策評価と決算
第2章 なぜ決算は軽視されてきたのか
 1 踏襲された憲法規定
 2 決算審査のスケジュール
 3 参院での決算否認
第3章 決算改革に向けて
 1 不十分なフィードバック回路
 2 決算制度改革案
 3 参院改革のなかの決算改革
第4章 会計検査院とはいかなる役所か
 1 福祉国家と会計検査院
 2 会計検査院のしくみ
 3 会計検査院のしごと
 4 「官官接待」の前科
第5章 「決算検査報告」とはなにか
 1 「決算検査報告」とはなにか
 2 「決算検査報告」の問題点
第6章 〈事例研究〉防衛庁調達背任事件
 1 事件の経緯
 2 事件の構造
第7章 いかにして「独立性」を確保するか
 1 「独立性」を侵害する天下り
 2 断念された会計検査院法の改正
 3 会計検査院の権限強化をめざして
むすびにかえて

書評 #4-1:評者:高橋一行「決算制度はなぜ機能しないのか」『QUEST』第27号 (2003年9月)

高橋一行「決算制度はなぜ機能しないのか」
『QUEST』第27号(2003年9月)
 本書『この国の政治を変える会計検査院の潜在力』は、『立法の中枢知られざる官庁新・内閣法制局』、『霞ヶ関の隠れたパワー官僚技官』(いずれも五月書房)に続く西川伸一氏の第三弾である。内閣法制局は、人に知られることの少ない官庁であるが、法令をチェックする、という立法部の中心的な役割を果たしている所である。また技官とは、これも世に存外知られていないのだが、技術系の官僚のことで、とりわけ全国の公共事業を取り扱う国土交通技官や農業を取り仕切る農林水産技官は、政策立案に始まって、業者の選定、仕事の発注等、実質的な仕事の全てを担当している。
 あまり知られていないが、事実上、立法や行政の中心的な役割を果たしている、ということは、そこが容易に、あらゆる種類の腐敗の温床になる、ということを示している。権力がそこに集中し、しかしメディアや世間から注目されることがないために、自己改革がしにくいからである。しかし同時にまた、そのことは逆に言えば、そこから改革のメスを入れることによって、政治の仕組みや官僚機構全体を刷新するための、戦略的な拠点を確保出来るということも示しているのである。
 本書は、まさにその著者の戦略の、ストレートな延長線上にある。会計検査院は、政府の編成、執行した予算を検査するところである。政府のすべての収入と支出についての決算を検査し、各省庁の会計経理について監督する。そしてその結果を、後の予算編成に生かそうとするものである。日本の政治が、政治家による地元への利益誘導、公共事業のばら撒き、そしてそのための予算のぶんどり合戦に終始していることはしばしば指摘されるが、会計検査院がそれらの実態を正確に検査し、後の予算編成に反映させれば、これらの多くを防ぐことが出来るはずである。しかし現実にはそのためのフィードバック機構が必ずしも十分に機能していない。しかも、その機能不全が、マスコミや世間の話題になることも少なく、国会で審議されることもまれである。
 機能不全の現れの第一は、その決算審査があまりに遅れることである。来年度の予算編成に、今年度の予算執行の決算審査を得ることは理論的にも不可能であるが、昨年の審査結果は反映させたいと思う。しかし現実には、昨年の決算審査は、来年度の予算がすでに編成された後になって、国会に提出される。従って、現実的には3年前の決算審査が予算編成に生かされるのであるが、驚くべきことに、著者の調べたところでは、5年もたってからやっと決算審査が報告されたこともあるそうだし、2年分の審査の決算議決が同時になされたことも度々ある、というのである。これでは確かに、この役所の仕事は「死体解剖のようなもの」に過ぎない。
 第二に会計検査院は、政府の決めた予算配分の内容については口出しせず、単に形式的な支出の正確性と合規性のみを問うものに過ぎないということである。つまりただ単に不正経理があるかないかを調べるに過ぎず、具体的な政策の当不当を会計検査院は評価することが出来ないし、従って複雑な行政活動の実質的な審査を行うことは出来ないのである。
 このような会計検査院の限界は、人事にその根本を求めることが出来よう。官庁の人事の分析は、著者の最も得意とするところであるが、本書でも遺憾なくその手腕が発揮されている。まず、検査官という、各省庁ならば、大臣に相当する部署は3名から成り立つが、その中でとりわけ人事を牛耳っている検査官は内部出身者である、ということが指摘される。これでは国会の同意人事であり、議会に対して責任を負わねばならない検査官をわざわざ置く意味がない。また他の一人は従来、大蔵省OBであったそうだ。これでは予算編成の検査が適正に出来るかどうか、疑わしい。さらには、自治省、建設省、防衛庁などからもたくさんの出向人事がある。それが会計検査院の内閣からの独立性を脅かす。そして極めつけは、会計監査院幹部の特殊法人への天下りである。これらが本書では細かく分析されている。
 会計検査院の仕事の権限を増やし、それに権威を与えること、他省庁からの出向を禁止すること、天下りの誘引を減らすこと。こういった当然の処置を取るためにも、まず、この知られざる官庁の仕事の実態が世間に知られることが必要である。本書の意義はまさにそこにあり、そしてそれは実に大きなものであろうと思う。
 さて私の気になるのは、「三部作」を終えた今、著者はどの分野に新しい仕事を求めるかということだ。確かに世間に知られていない官庁の存在はそれほど多くはないかもしれない。しかしよく知られている官庁の中に、あまり知られていない部門があったり、その具体的な役割が認知されていなかったり、というケースはまだまだたくさんあるに違いない。著者に休みを与えず、すぐに次作への期待を述べるのはいささか酷かもしれないのだが。

書評 #4-2:『東京新聞』2003年9月21日書評欄「新刊抄」

書評 #4-3:『朝日新聞』2003年11月29日「社説」

書評 #4-4:評者:常岡雅雄「『会計検査院の潜在力』を読む」『社会主義理論学会会報』第54号(2004年1月)

西川伸一新著『会計検査院の潜在力』を読む
現代研究所 常岡雅雄

(一)
 私は今まで書評というものを唯の一つも書いたことがない。書評するには、その領域の俯瞰図や予備知識や理論をもっていなければならないはずだ。どの領域をとっても、不満足を痛感している自分としては、他者(ひと)の労作を書評することなど到底できるはずがない。この思いは今この瞬間でも変わらない。にもかかわらず、社会主義理論学会事務局長である山口勇さんから次のような便りが届いたら、つい、引き受けてしまっていた。自己有史いらいの事態である。
 「(前略)社会主義理論学会の会員・西川伸一氏から新著が寄贈され、その書評を社会主義理論学会会報に掲載したいと思います。どなたにお願いするかと探していましたが、貴兄にお願いしたいと考え、西川氏から貴兄に寄贈してもらうことにしました。近日中に着くと思います。貴兄のものを読ませていただいての感想として、資本主義内部における制度のあり方を批判的に分析する観点がほしいというのがあり、西川伸一氏の諸著書は、貴兄の観点を深めるうえからも有益なものになるに違いないと考えたからです。(後略)」
 特に、この「資本主義制内部における制度のあり方を批判的に分析する観点がほしい」というご指摘が、「ああ、これは断ってはならない」と私に書評を決断させた。

(二)
 残念ながら面識はないが、西川伸一氏は若干四十二歳の明治大学助教授である。最新作『官僚技官霞ヶ関の隠れたパワー』(五月書房、二〇〇二年)、『立法の中枢知られざる官庁・新内閣法制局』(前同)などで政治学者として存在感をしめしはじめている。特に山口さんからの便りによれば「『知られざる官庁・内閣法制局』などは、『週刊金曜日』でも詳しく取り上げられるなど各方面から注目」を集めた労作なのである。今回の『この国の政治を変えるー会計検査院の潜在力』は、その西川氏の「政治変革論」三部作の第三弾ということになるのではないだろうか。
 西川氏の主張はきわめて明快である。冒頭「はじめに」で明言するように「日本政治の質的転換」である。この政治変革の主張を、西川氏は単なる「政策」論としてだけ論述するのではない。具体的には、今日まで殆どの者がその政治的意義を確認できなかった会計検査院という政治制度内の要衝に焦点をさだめる。そして、明治以降の歴史と海外状況にまで視野を広げながら、この政治要衝=会計検査院にたいする学的追究をおこなうことをもって、その時代的主張「日本政治の質的転換」を裏付けようとするのである。
 そして、そこからでてくる結論的核心は、国会政治制度の核心に「決算結果を予算編成にフィードバックさせる」回路を「確立せよ」ということである。

(三)
 三〇〇頁の本書は七つの章をもって構成される。第一章「なぜ決算は重要なのか」、第二章「なぜ決算は軽視されてきたのか」、第三章「決算改革に向けて」、第四章「会計検査院とはいかなる役所か」、第五章「決算報告書とはなにか」、第六章「事例研究―防衛庁調達背任事件」、第七章「いかにして『独立性』を確保するか」である。
 この七章編成をもって、西川氏は、(一)「予算に対する決算の意義」を鮮明におしだす。一般には当たり前のことであるが、それを政治改革の要点として原理的・憲法的・現実的に根拠付けして世に推しだそうとするところに西川氏の「コロンブスの卵」がある。(二)この「予算」を規制する「決算」機能を政治制度のなかで担うべき機関が会計検査院なのである。(三)この原理的かつ制度的に政治制度の核心に位置しながらも、そして、国会論議の質問と政府答弁ではその意義をくりかえし強調確認されながらも、実際には、顧みられないままの政治要衝であり、「政治改革」政治の盲点である会計検査院について、(四)その明治憲法上の位置、それを引き継いで現行憲法に規定された政治制度上の決定的意義、歴代首相がその意味を確認する政府答弁の意義などを、西川氏は詳細に実証してゆくことによって、まずは、「決算の予算へのフィードバック回路の確立」のためにもつこの会計検査院の決定的意味を論証する。
 (五)それにもかかわらず、現実には、なぜ、この会計検査院は軽視され顧みられないままできているのか。政府や議会にたいして原理的には「独立して並び立つ」べき、政治制度上の「会計検査院の独立性」が、なぜ確立されないままできているのか。その現実の政治構造上の問題を西川氏は具体的に解明してみせる。官僚制度の本質的な欠陥、政界と官僚界と財界の癒着一体化の構造などを「会計検査院の独立性」の視点から解明するのである。官僚機構の一環に埋めこまれ政官財癒着のなかに腐敗転落してしまった会計検査院が「独立性を喪失しまう」のは必然であることを鮮やかに浮き上がらせるのである。
 もちろん、西川氏の論述は、大方の講壇学者たちのような理論開陳と現実の分析と解明だけでおわるものではない。彼は、だから「如何にあるべきか」「何をなすべきか」へと向かうのである。すなわち(六)会計検査院の機構と国家論上の意義を解明して、(七)この会計検査院がその「予算への決算のフィードバック」という本来の政治機能の発揮のために「如何にすれば独立性を確立できるか」―そのための基本政策を西川氏は提起するのである。(なお、ここでのカッコ内番号は私の論述都合上の整理番号であって、西川氏の第一から第七までの本書章分けと完全に一致するものではありません。)

(四)
 西川氏の論述は、私に未知の新しい領域を照らし出してくれた。大変勉強になった。同時に、一つの疑問が頭の隅に残って消えなかった。会計検査院が「独立性を確保しえた」にしても、国民の中から選挙を通して選出された者(すなわち政治家)ではない、少数の任命された権限者(検査官)が、国民の中から選出されてきた政治家とならぶ位置で、その政治(予算)を左右し規定するほどの権限を保有して行使することは合理的なことであろうか。仮に、それらの任命された権限者(検査官)が申し分ない立派な人物(賢人)であったとしても、その少数の賢人たち(三人)に政治家たちの議会にならぶ権限を与えることが合理的なことであろうかという疑問である。この疑問の解消には、こんごの西川氏の解明と提起に待たなければならない。
 とは言え、西川氏の今回の解明と提起は、二十一世紀日本のいよいよ焦眉の課題となってきた「政治改革」問題にたいして「政治制度の構造的内側から肉薄してゆこう」とする学的試みとして画期的である。まだ、その衝撃が記憶に鮮明だが、「与党の連中がひっくり返るような」大疑惑事件の調査途上で昨年一〇月二五日に右翼テロによって刺殺された石井紘基衆議院議員(民主)は「決算制度や会計検査院制度のあり方に強い疑問」を抱いて一九九六年四月に「よい国をつくる市民の会=国民会計検査院運動の会」を「憲法の保障している『会計検査院』の権威と権能強化を求める」ことを行動目標の一つに掲げて呼びかけ設立して活動してきていた。西川氏はこの「石井議員の遺志」を「万分の一でも継げれば」という思いを本書に託している。このように命のかかった政治実践と響きあう西川氏の学的追究とは、現実の政治の制度と構造の内側に迫って「政治変革」という時代の要請に応えようとする見事な学的実践である。(〇〇三年十一月十二日)

書評 #4-5:評者・毎熊浩一『年報行政研究』第40号(2005年)180-184頁

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