立法の中枢 知られざる官庁・内閣法制局
書評:「官僚国家日本の司令塔を解明する」深津真澄


官僚国家日本の司令塔を解明する
深津真澄 *『カオスとロゴス』第1 7 号(2 0 0 0 年6月)掲載
 日本の政治の特徴は、権力の所在がまことにつかみにくいことである。「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」という憲法第四十一条の規定を鵜呑みにすれば、二院制の国会で優越的地位を占める衆議院の代表者の議長ポストが権力の所在を示すランプということになるが、多数党の都合で議長の首などすぐに飛んでしまう。それは、権力のありかが全く別であることを物語るといってよいだろう。
 では、多数党の代表者が権力者といえるのか。1955 年以来ほぼ一貫して第一党の座を占めてきた自民党総裁のいすこそ、権力の所在を示すランプと理解されてきたが、実は、自民党総裁はひ弱な権力者である。誰が総裁のいすに座るかは派閥の合縦連衡によって決定され、首尾よく権力の座を射止めたとしても、常に反対派の牽制と妨害によって揺さぶられる。総裁の権力基盤はもろい。内閣総理大臣として行政権を一手に収めているようにみえても、政府機関は22 もの省庁に分かれ、内閣の統合機能は弱い。
 権力者としての首相の存在の軽さを見せつける恰好のエピソードが、最近、永田町で起きた。小渕恵三前首相が突然脳梗塞で倒れたあと、22時間もその事実は秘匿されたあげく首相の意思も不透明なまま、官房長官の首相臨時代理就任―内閣総辞職―後継首相の選出という、権力者交代の手続きが進行したことである。外国の新聞は権力の真空状態が長時間続いたことに呆れたが、国会議員の大多数も大方の国民も危機管理のずさんさを批判されてもピンと来ないのが実態である。宮沢蔵相が「いや、心配ないんですよ。日本という国はこういうときでもちゃんと動くようにできている」とコメントしたように、首相という名目的な権力が損なわれても官僚機構による国家統治のメカニズムがしっかり作動しているのが実態だろう。とすれば、真の権力は官僚機構のどこかに宿っているのである。
 この問いに正面から答えてくれるのが、西川伸一氏(明治大学政経学部講師)の『知られざる官庁・内閣法制局』(五月書房)である。日本を動かす官僚機構の「指令党」の組織とパワーの実態を解明したはじめての本格的研究成果といえるが、読者の中には98 年10 月発行の本誌12 号巻頭に掲載された「内閣法制局とはいかなる官庁か」という論文を記憶している人もいるだろう。その筆者が研究成果を一般市民向けにまとめた本である。
 ひところ、霞ヶ関の官僚の間で「二局支配」ということばが使われた。日本の政治・行政を牛耳っているのは、大蔵主計局と内閣法制局だという指摘である。予算編成権を握る大蔵主計局がエリートコースの最右翼とされてきたのはよく知られているが、その大蔵官僚は金融危機と財政危機を招いたことで能力に疑問符がついただけでなく、特権に奢ったスキャンダルを暴露され、威信は地に落ちた。しかし、内閣法制局は依然として、全官庁の上に君臨するパワーと権威を保持している。
 驚くべきことは、それほど強力な官庁の内閣法制局が定員わずか77 人の小さな役所であり、しかも、大学新卒者の定期採用はなく各省庁からの出向者で構成する寄り合い所帯だという事実である。ふつう官庁のパワーは組織の大きさと結束力の固さ、握っている権限の大きさと政界や関連業界への影響力で測られることが多いが、内閣法制局はその常識に反する存在である。本書は、そのパワーの秘密を具体的に解き明かしている。
 内閣法制局の最大の任務は、各省庁が閣議に提出する法律案や条約案、政令案を事前に調査し、法体系の統一性と継続性を確保することである。さらに行政各部の問い合わせに応じて法律問題に関して見解を示す「意見事務」と呼ばれる業務がある。この意見が政府内部の統一解釈として強い拘束力をもち、新たな立法の指針として、地方自治体を含め強力な「縛り」の効果を発揮する。
 法制局の任務としてもう一つ見落とせないのは、法制局長官が政府・与党の「知恵袋」として閣議や国会論戦で大きな役割を果たすことである。閣議には常時出席し、提出された法律案や政令案の説明にあたる。国会では首相の委員会出席に必ず付添い、とくに憲法問題では野党との論戦の最前線に立つ。また4つある部の部長や参事官も、それぞれの分担に応じて国会の各委員会に出席し、担当した法案の弁護に全力をあげる。
 一言でいえば、内閣法制局は政府全体の「法律顧問」であり、行政と政治の接点に立ってほとんどすべての問題を集約し、整理する役割を果たす。内閣法制局のパワーの第一の秘密は、行政と政治の接点といういわば「戦略的要所」を取り仕切っていることにある。内閣法制局長官が、お役人の身分にもかかわらず特別職で、組閣のたびに閣僚名簿の隅に必ず名前が掲載されるのは、法制局の果たす役割の重さの反映であろう。
 法制局のパワーの第二の秘密は、実務面における「完壁主義」にある。各省庁のまとめる法律案や政令案は、閣議に先立って法制局で①憲法や他の法制との関係で矛盾点はないか、②立法内容の法的妥当性に問題はないか、③条文の表現と配列、用字・用語の適否など、あらゆる角度から徹底的な検討が加えられる。法制局の審査をパスしなければ法案は閣議を通らないから、法制局長官は事実上の拒否権を握っているのである。
 法制局の審査があまりに厳しいため、大蔵官僚すら「頭が上がらないところ」といやがる。一般の役所でも「あそこは鬼門」とか「職権乱用ではないか」といった陰口が少なくないのだが、各省庁は審査をできるだけスムーズに突破するため、内容がかたまった案件は事前におうかがいをたてる予備審査に持ち込む。だが、その慣行は審査の過程を「ブラックボックス」化し、法制局の権威を不必要に高めてしまったとも言える。
 この「完壁主義」によって戦後の第1 回国会から今日に至るまで、法制局の審査を経て成立した法律の中で、最高裁から違憲判決を受けた例は一つもない。著者の言葉でいえば「100 点満点」である。著者は別の論文で「こうした事態は最高裁の権能を法制局が代行していること、つまり法制局が事前の違憲審査所になっていることを意味しており、三権分立の原則の重大な逸脱と言わねばならない」と鋭い批判を加えている。
 それにしても、異常なほどの法制局官僚の「完壁主義」のエートスは何なのか。著者は「憲法違反を最大の恥辱と考え、法案審査に最大限の慎重さを期して権威の保持に努めている」と説明している。憲法に違反する法令を見逃さない責任感は当然としても、権威保持のための「無謬性へのこだわり」が問題である。これは日本の官僚機構一般にみられる特徴の一つだが、そのこだわりが新しい試みを妨げ、行政の硬直化をもたらす大きな要因である。「意見事務」でも、法制局の「こだわり」が強く作用している。法制局の示す意見は単なる
参考意見ではなく、行政内部の統一的解釈として各省庁を律するきわめて強い拘束力をもち、政治や行政を動かす「規範」となるが、法制局は一度示した憲法解釈、法律解釈は頑として変更しない。安易な解釈変更は権威失墜に直結するからだ。法制意見が行政を束縛する好例は、在日外国人を公務員に採用することを阻んできた「国籍条項」の撤廃問題である。
 90 年代の初めから、在日韓国人などの間で地方自治への参加要求が高まり、これをうけて高知県や川崎市などの自治体が「地方行政は住民へのサービス業だ。地方税を納めている以上意欲があれば国籍を問うべきでない」として職員採用を日本人に限っていた条例を改めようとした。これに対して自治省は法制局が1953 年に示した「公務員に対する当然の法理として、公権力の行使または公けの意思の形勢への参画に携わる公務員になるためには、日本国籍を必要とする」との見解を根拠にして、反対したのである。
 地方公務員には何の規定もないのに、当然の法理という理屈が40 年以上もまかり通ってきたことは驚くほかないが、「国籍条項」を当然の法理とした背景は、朝鮮戦争やサンフランシスコ講和条約の締結という冷戦の激化だったという。「それが(冷戦も消滅した)96 年にも『当然の法理』ではありえない。時代錯誤も甚だしい。社会感覚の欠如を指摘されても仕方あるまい」と、著者が手厳しく批判するのは当然だろう。
 ここで西川氏は、法治国家のあり方として重大な背理を指摘する。法律ならその規定が時代に合わなくなった場合、手順を踏んで改正することが可能だが、「当然の法理」は政府内部の見解ゆえに、時代が変更を要求してもそれを可能にする手続きが見当たらない。法制局は自らの権威保持のために見解を変えようとせず、代々「相続」していく。そこで法的裏付けのない意見や政治が行政を長年拘束するというパラドックスが生じる。
 見方によっては、現在の法制局の役割自体が三権分立の憲法原則を覆す重大な問題である。国会で成立する法案の大半は政府提出だが、それはすべて法制局の審査を通らなければ国会に提案されないのだから、法制局は「唯一の立法機関」の役割を事実上代行している。法制意見で行政各部を拘束することも一種の立法といえるかもしれない。また、すでに述べたように最高裁の違憲立法審査権も事実上代行しているのだから、法制局こそ日本の統治機構全体を牛耳る司令塔というべきである。
 こうした強大なパワーを保持する内閣法制局が、実は、定員わずか77 人の寄り合い所帯であることは先に触れたが、実力と組織の不釣合いはなぜなのか、興味をそそられるところだ。この点について、西川氏は新制度論と呼ばれる政治学の理論を適用して解明を進める。単純化していえば、機構と人事パターンが「制度」を形成すると、強力な現状維持機能を発揮して「政策遺産」が形成され、大きなパワーを獲得するというのである。
 一般向けの啓蒙書である本書では省かれているが、西川氏は1970 年以降、法制局に在籍した参事官経験者134 人について主なキャリアをグラフ化して、一定の人事パターンを抽出した。その結果、①各省庁の中で法制局へ出向者を出せる一流官庁と出せない二流官庁がある、②各省庁は本省課長クラスの中から将来の幹部候補と目される優秀な人材を5年程度の期限で送り出す、③出向者たちは組織の代表として選ばれたという意識をもち、それが求心力として作用する――など、注目すべき傾向が析出された。
 長官以下次長、総務主幹、4人の部長の7幹部ポストについて人事異動を調べると、きわめて強固なヒエラルヒーがあることがわかる。これらの幹部ポストを占めることができるのは、法務、大蔵、通産、農水、自治の5省出身者に限られるが、農水省出身者は序列第三位の第一部長までしか進めない。官庁は第一部長と次長を必ず経験することになっている。こうした人事慣行が強固な「政策遺産」を形成する素地となっている。
 130人以上の多数の官僚について、一人ひとり30年にわたる人事異動の跡を追いかけることは、並大抵の作業ではない。西川氏はグラフ作成に使用した資料として『官報』『職員録』から新聞各紙まで沢山の文献をあげているが、その量は膨大なものだっただろう。おそらく毎日、図書館の大机を一つ占領して、来る日も来る日も資料のページを綴ったに違いない。実証データを集めるという研究者としての執念に敬意を表したい。
 ただ、新制度論による分析は法制局の実態分析には効果をあげているものの、なぜ法制局が「三権分立の原則を逸脱する」ようなパワーを獲得するに至ったかという疑問には、十分な回答を与えていないように思われる。法制局が国民の目にはよくみえないところでパワーを発揮する裏には、国会と内閣を動かす政党勢力が非力であり、最高裁判所が違憲立法審査権の行使に消極的という見本の政治風土が作用している。法制局と政治、あるいは司法との相互関係を深く分析する必要がありそうだ。
 政治との関係でいえば、ひ弱な自民党総裁の中で例外的に「強い総裁」が出現すると、法制局の発言力は低下する。「大統領的首相」を自称した中曽根政権がその例だが、在任中、米国への武器技術供与問題と靖国神社公式参拝問題で法制局の反対論にぶつかった中曽根氏は、いずれも持論を押しつける形で押し切った(中曽根康弘『天地友情』文芸春秋)。法制局官僚が「法治国家を支える」と自負しても実態は「政治の待女」かも知れない。
 もう一つ著書に期待したいのは、歴史的アプローチである。本書には「内閣法制局小史」という一節があり、戦前の法制局官制に「内閣に奴隷する」という規定があって天皇の意思に基づく絶対的存在であるであることを示していたという興味ある事実を教えてくれるが、当時の政情と法制局のかかわりについて触れていないのは物足りない。たとえば、統帥権の独立とか天皇機関説の排撃といった軍部台頭の画期となった憲法上の問題に、当時の法制局はどう対処したのだろうか。その経験は今の法制局に反映しているだろうか?
 「明治官僚の牙城」として占領軍に解体された法制局が1952年に急に復活したのは、当時の吉田茂首相が憲法九条に関する国会答弁で失敗を演じたことが原因だったという。このエピソードは、歴代の保守党政権が、違憲の疑いの濃い自衛隊や日米安全保障を「合憲」と言いくるめる法制局の答弁技術を頼りにしていたことを物語る。戦後政治の最大の争点だった九条論争で法制局が果たした役割とそのパワーの肥大化との相関関係も、歴史的に詳しく分析する必要があると思う。
 霞ヶ関の各省庁は、来年4月から現行の22省庁が12兆へと大幅に再編されるが、内閣法制局は無償で生き残る。法制局の存在が政権政党や官僚たちの恣意的な法の運用」を抑制していることは認めるものの、最近では日米防衛協力のガイドラインの問題のように憲法解釈の一貫性は怪しくなっている。また、法令審査の厳格性が社会の変化に対応する積極的な施策の展開を阻害したり、前例踏襲の保守性が変革を拒む壁になっていることは否定できない。法制局に対しても民意でコントロールする必要がある。
 その点で、著者が大きな期待をかけるのは議員立法であり、第Ⅱ部として「法律を市民の手に―議員立法と議院法制局」という章を設けている。この中で著者は、「『官僚まかせにせず、市民が立法を考えることで社会は変わる』と信じたい」と熱っぽく訴えているが、日本の国会で議員立法が少ない最大の理由は、議会は天皇の立法権に協賛するとした明治憲法下の惰性が続いていることだろう。さらに戦後は、官僚支配に依存して地元利益の配分に血道をあげる自民党の一統支配が長く続いたため、国会議員が自らの機能を忘れてしまったのである。問題の根は深い。
 そんな日本の国会も、55年体制が崩れた93年以降、目立って議員立法が活発化しつつある。97年の臓器移植法や翌年の非営利活動促進法(NPO 法)の成立は、そうした変化の表れである。ただ、議員立法には一定数の賛成者が必要であり、所属政党の政策審議決定機関の承認がなれば、国会事務局は受け付けない。何とか提出にこぎつけても、与野党間で事前に話し合いをつけなければ審議のテーブルにはのらず、成立の見込みは立たない。政治的な雲行きが険しくなれば、与野党の駆け引きのこまとして利用されることもある。
 議員立法の手助けをするのが衆参両院に置かれている議院法制局だが、実は、ここも内閣法制局同様の人事パターンが固定化しており、しかも、その半分は各省庁からの出向者である。一般職員の出向者は期限2年程度で出身省庁に戻るケースが多く、顔は自然に古巣に向いてしまう。「行政府から立法府への出向が常態化し、既得権益と化することによって立法府の独立がないがしろにされる恐れがある」という著者の指摘はもっともだ。
 議員立法の可能性を否定するつもりはないが、官僚支配を打ち破る王道は、内閣法制局という政府部内の一部局が行政ばかりでなく立法、司法まで牛耳っているという事態の異常さを、主権者たる国民がしっかり認識することである。その上で政党側の奮起を促し、司法部門を活性化するよう改革を促すことである。本書はその第一歩を踏みだすための有力なガイドブックである。

書評 #9-4:『静岡新聞』「大自在」2012年12月12日

書評 #9-3:評者・藤原孝『政経研究』(日本大学法学会)第49巻第1号(2012.6.30)119-124頁


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書評 #9-2:評者・水戸部由枝『明治大学広報』第643号(2012.5.1)「本棚」欄


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